ぼくたちがいつも使っている言語の背景には何があると思いますか?
それはイメージです。
人は言語でも目の前の世界を認識している
実は、言語の背景にあるイメージは、人それぞれ独特なものをつけているんです。
普段、それを共有することがないので、なかなかわかりませんよね。
そのイメージは、大体が子供の頃に暗記したままのものだったり、歳を重ねて少し広がったものになっているかもしれません。
ですが、日々深めている人は少ない。
それは、本当にもったいないことなんです。
なぜなら、人は言語でも目の前の世界を認識しているからです。
それは、今まで使っていた言語の背景にあるイメージが深まると、目前の世界も深いものになっていくことを表しています。
今ここが変わってしまうとうことです。
日本語の裏にある凄すぎる世界
先日、それを実感しました。
令和哲学者、Noh Jesu(ノ・ジェス)さんのブログ記事を読んだんです。
日本語の「当たり前の心、有り難い心」についての記事だったのですが、
そんな意味があったのか、と驚きました。
この普段よく使う、二つの日本語が深まったことで、今まで条件反射的に使ってしまっていたことを反省しました。
そして、もっと日本語を大切に表現していきたい、深めていきたいと思いました。
自分がいつも使う道具の価値を深めていくこと。
それが自信感をつけていく基本活動でもあるんですね。
以下、ノさんのブログ記事の抜粋です。
ノさんの日本語に対する思いとともに、ぜひ記事を読んでもらいたいです。
日常の言語が日本人に与える影響というのははかり知れません。
ただ多くの日本の方は、日本語の裏にある凄すぎる世界を認識していないことは残念です。
この日本語に隠された真理の世界を知ることで日本人が今以上に自信感にあふれた状態になれると思います。
ですから令和哲学シリーズを通して応援したいと思っています。
・Noh Jesu公式ブログ、【令和哲学15】日本!当たり前の心(=真理の心)を道具に、AIの危機を人類の次元上昇のチャンスに大反転させよう、より