長野が教育県になった理由は地形にあった

この記事は約2分で読めます。

長野はかつて教育県と言われていました。

ぼくは、その理由について考えていた時期がありました。

 

先日、以下でご紹介した浅田次郎氏の講演会に行き、長野が教育県だった理由が自分の中でつながったので書いてみたいと思います。

堀直虎を通して気付いた、人間一人を理解する意味

 

江戸時代、日本の識字率は世界一だった

日本がアジアの中でいち早く近代化し、いまのように発展したのは、なぜだろう?

それは、識字率が高かったことが理由ではないか。

 

江戸時代の識字率は、世界一だったそうです。

世界が驚嘆した識字率世界一の日本

 

字を読めるということは人達のコミュニケーションの活性化情報伝達組織を成り立たたせる上で重要なポイントですよね。

 

日本の識字率の高さは、地形に原因があった

日本がなぜ識字率が高かったのか、その理由は日本の独特な地形が影響していたから。

日本は本土の4分の3が山間部

 

ですので、人々はあちこち転々としては住めません。

一か所にまとまって住まざるを得ない状態でした。

まとまって住むということは、人と人の交流が活発に行われますし、情報伝達もしやすい状態ということです。

 

武士達の教養の高さ

武士達は、数は多くありませんでしたが教養が高かったそうです。

江戸時代の身分別人口

 

そして、隠居した武士の仕事は、寺子屋を開き、地域住民に読み書きを教えることでした。

日本各地に寺子屋がたくさん存在していました。

 

長野は、寺子屋数が日本一だった

長野は、寺子屋の数が日本で一番多かったそうです。

ぼくは、ここにも地形が関係していると考えました。

 

長野は、日本アルプスをはじめ高い山が多い県。

いまも、車や電車で県内を移動する際は、多くのトンネルを通る必要があります。

集落の特徴は、山と山の間にまとまってある形。

 

なので、町の教育する機関、寺子屋も多かったと考えました。

 

人間の成長には環境が大きく影響している

今回、記事を書いてみて、改めて人間の成長には環境が大きく影響しているということに気付きました。

 

自分がどう変化するのかを追究するのも重要ですが、それプラス、どんな環境をつくりたいのかをイメージすることが大事なんですね。

タイトルとURLをコピーしました