長野の疎開歴史から気付いた個人主義の限界と共同体主義の可能性

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先日、以下の記事に衝撃を受け、長野の疎開状況を調べ始めました。

 

長野県は、学童疎開数は全国2位

はずかしながら、ぼくは以下のサイトで長野は学童の疎開数が多い県だったことを知りました。

神奈川に次いで2位。

図録▽疎開先別の疎開児童数

 

長野は、東京から近い、山々に囲まれているから空襲の被害に合いにくい地域だったのでしょうか。

 

長野県では、温泉街に学童疎開人数が多い

そして、次に、長野県各地域の疎開人数を調べてみました。

上記の「学童疎開受入数」の表から、温泉街が疎開した人数が多いのがわかりました。

 

ぼくが知っているのは東北信だけでも、

 

・下高井郡・平穏村:いまの山ノ内町

・下高井郡・豊郷村:いまの野沢温泉村

・上高井郡・山田村:いまの山田温泉

・更科郡・上山田村:いまの上山田

・埴科郡・戸倉町:いまの戸倉

・小県郡・青木村:いまの上田市青木村

・小県郡・別所村:いまの上田市別所

 

と多くの温泉街で学童を受け入れていたのです。

そこから推測できるのは、これらの多くの温泉街にある旅館やホテルでも初めにご紹介した、上山田ホテルのようにホテルの経営よりも、子供たちの受け入れを優先させ、地域で協力して子供たちの命を守った事実がありそうということです。

 

個人主義の限界と共同体主義の可能性

日本は、戦争に負け、西洋の個人主義、資本主義を受け入れました。

そして、現在の日本にまで成長しました。

現状をみれば、世界有数の経済大国になり、人たちの暮らしも昔と比べたら豊になりました。

 

しかし今、新たな経済大陸が見いだせず、産業が飽和状態になっています。

ビジネス空間では、激しい競争が続いています。

 

また、少子高齢化、個人の心の問題、うつ、自殺などの問題もあります。

もう、今までの時代を引っ張ってきた、西洋の個人主義、資本主義が限界にきているんです。

 

人間は、ひとりでは生きていけません。

必ず他人と関係性を築き、組織をつくり、そこに所属して生きていくことが求められます。

最小単位の夫婦、家族から地域と。

 

もともと、日本人は農耕民族。

人と人、地域と地域が協力して生活を営んできました。

いまの時代の問題を突破していくには、個人では限界です。

 

日本の根底にある協力する力を発揮させ、これからの新しい共同体主義をつくりだすことが必要なのではないかと、疎開の歴史を調べながら感じました。

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